1988~93年:さらなる成功を目指したモータースポーツへの挑戦と撤退


ワークス体制で参戦した1991年型モデナ・ランボルギーニ

ランボルギーニは、創業以来レース活動を行わずに幾多の名作を生み出してきたことは前述のとおりである。これは創業者フェルッチオの信念でもあった。

しかし、クライスラーによる買収をきっかけに歴史が動く。クライスラー重役陣には、モータースポーツの魔力に取り憑かれた者も少なくなかった。そこへ来て、1987年の終わり頃、F1に参戦するラルースがマウロ・フォルギエリに新型F1エンジンの製作を依頼する。フォルギエリは、60~70年代にフェラーリF1パワーユニットを設計した有能なエンジニアであり、ランボルギーニとの親交が厚く、ラルースのオファーを受けた際にすぐさまランボルギーニに声をかけたのだった。クライスラーの承認が下りると、フォルギエリは3.5リッターV12エンジンの設計に着手する。ランボルギーニとは別に、ランボルギーニ・エンジニアリングが設立され、F1エンジンプロジェクトを統括することになる。フォルギエリ率いる実働部隊は、すさまじい速さでエンジンを完成させ、1988年4月には公式公開に及んだ。

このニュースはセンセーションを呼び起こした。長らくトップパフォーマンスV12のメーカーとして知られてきたランボルギーニがついにモータースポーツに、しかもF1というフォーミュラの最高峰に挑むのだから、誰もが色めき立たないはずもない。場合によっては、直接のライバルを窮地に追い込む可能性さえあるのだ。ただし、ランボルギーニはあくまでもエンジンサプライヤーであり、設計開発費用もカスタマーチームが支払う。その意味では、ある程度リスクが抑えられたプロジェクトでもあった。F1デビューイヤーとなった1989年は、ランボルギーニにとって困難なシーズンだったが、理由は明らかだった。ラルースに適切な資金や組織体制がなく、そもそもチャンピオンシップを狙えるレベルで戦うことはできなかったのである。ランボルギーニV12は、それでもポテンシャルを示すことに成功した。翌1990年は、ラルースに加えてロータスにもエンジンを供給することになる。


ラルースの鈴木によってもたらされた3位表彰台

2チーム体制となった1990年、ランボルギーニは好リザルトをマークする。英国GPでは、ラルースのエリック・ベルナールと鈴木亜久里が4、6位でチェッカーを受け、ダブル入賞を果たした。さらにハンガリーGPでは、デレク・ワーウィック(ロータス)、ベルナール(ラルース)、マーティン・ドネリー(ロータス)のランボルギーニV12勢が5~7位でフィニッシュ。この年のベストリザルトは、鈴木が地元GPの鈴鹿で記録した3位入賞である。ランボルギーニにとっても、鈴木にとってもこれが初めての表彰台であると同時に、両者にとって最初で最後の表彰台でもあった。

1990年シーズン、ランボルギーニV12は合計14ポイントを獲得。サンタアガタもデトロイトも、大いに勇気づけられた。これに目をつけた裕福なメキシコ人実業家は、エンジンだけでなく、シャーシも製作するようランボルギーニに要請。同社にとっても魅力ある提案であり、この実業家に潤沢な資金があることが確認されると、フォルギエリ率いるテクニカルチームは、シャーシ+エンジン・プロジェクトを開始する。フォルギエリは、過去2年間のデータに基づき、堅実ながらディテールまで目の行き届いたシャーシを完成させる。だが、1991年シーズン開幕直前、実業家は突然姿をくらます(現在でも消息は不明)。プロジェクトはいきなり財政難に陥り、窮地に追い込まれた。そこでイタリア人資本家が立ち上がり、レース参戦に必要な資金(ただし、十分ではなかった)を提供。こうして設立されたのが、モデナ・ランボルギーニである。

1991年シーズンに入ると、ロータスとラルースが陣営を離れる一方で、リジェがランボルギーニ・カスタマーとなる。しかし、ワークスチームを運営しながらカスタマーエンジンを供給する負担はあまりにも大きかった。当時のモデナには、人材もいなければ、資金もなかったのだ。このため、既存のトラブルが解決するどころか逆に悪化し、ワークスマシンは低調なパフォーマンスに終始してしまった。何事にも「たられば」は禁物とはいえ、もしも通常レベルの資金さえあれば、シーズン半ばでトラブルを払拭できていたに違いない。クライスラーは、ランボルギーニ・エンジニアリング(つまり、モデナチーム)の財政難がパフォーマンス低下を招き、ひいてはブランドイメージの悪化に繋がると知りながらも、まったくの無策。フォルギエリは孤軍奮闘するものの、それで戦えるほどF1は甘くはない。結局、惨憺たるシーズンを送った後、モデナF1はグランプリシーンから撤退する。1991年型モデナ・ランボルギーニは、サンタアガタのミュージアムにおいて、その勇姿を見せている。このマシンの前に立ち、世が世であればランボルギーニ史上最大の成功を収める可能性を秘めていたプロジェクトに、今一度思いを馳せるのも一興であろう。


フォーミュラの最高峰に挑んだランボルギーニV12

ランボルギーニは、再びエンジンサプライヤーに戻り、1992年シーズンもF1プログラムを継続。供給先は、フェラーリから乗り換えたミナルディとラルースである。翌1993年はラルースのみの供給体制。両年ともに開発資金不足からトラブルが続出し、結果を残すことができなかった。しかし、エンジンの基本設計は高いレベルに達しており、アイルトン・セナも同エンジンに並々ならぬ興味を示した。彼は、当時在籍していたマクラーレンのシャーシにランボルギーニV12を搭載した暫定マシンをテスト、両者間で覚え書きが交わされ、正式契約まであと一歩というところで意外なライバルが登場する。F1参戦をもくろんでいたプジョーが、非常に魅力的なオファーを提出、マクラーレンもこれを飲むことになったのだ。ランボルギーニは、これを契機にF1から撤退。その後はパワーボートレースという未知の世界に飛び込みながらも、F1時代の経験を活かして好成績を残している。

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